日本武道館は行き付けのライブハウスだ。

Live in Japan Live at 武道館

1976~1979

 大学生と言っても、本業そっちのけでアルバイトしている毎日だった。おかげで、ちょいと長居もした。
 夏は海へ、冬はスキーへ、そしてレコードとコンサートへと稼いだバイト代は消えて行った。



ドゥービー ブラザース / Doobie Brothers   76/1/16

ドゥービー ブラザース / Doobie Brothers   76/1/16
 
 日本武道館アリーナ席デビュー! いつも上空から、しかも横や斜め後ろからである。しかし、この日のチケットは、アリーナからでステージを見上げる席だった。チケットは武道館で当日券を買うつもりだった。発券所に行くと近くにいた学生風の男が、チケットがあまるから買ってくれと言う。何でも、来る予定の友人が時間を過ぎても来ないそうだ。もう少し待って来なければ会場に入るから、そうなったら買ってくれないかと言う。しかも、アリーナ席を定価でだ。僕はその友人が来ない事を祈りながら、時間が過ぎるのを待った。そして、願いが叶い憧れのアリーナチケットを手にした。

 しかし、遅すぎた。演奏が始まっているのである。観客は立ち上がり、後方の多くの客は椅子の上に立っている状態だ。自分の席がどこなのか解らないのだ。唖然としたまま、アリーナ後方で立ったまま見えないステージを想像していた。

 サウンドはダイナミックだった。トム・ジョンストンの不参加で不満と不安感を抱いていたが、それを忘れさせてくれる新生ドゥービーだった。この後、何度もメンバーチェンジをする事になるが、その度に期待を裏切らないバンドの第一歩に立ち会えたのはラッキーだったのかも知れない。でも、まったく見えなかったのが印象に残る残念なアリーナ・デビューだった。


アメリカン ポップ フェスティバル / American Pop Festival 76/10/10

アメリカン ポップ フェスティバル / American Pop Festival 76/10/10
 
 横浜本牧米軍フットボール場は、今のマイカル本牧のあたりにあった。中学校への通学路は、このフットボール場の脇の歩道だった。ただし、フットボール場と歩道の間にはフェンスが張り巡らされていて、日本人は歩道側しか通れないのだ。だけど、この日は違った。フットボール場が日本人にも開放されアメリカン・ポップ・ライブが行われたのだ。

 タイトルはアメリカンだが出演するバンドは、パワーハウス・ブルース・バンド、オレンジ・カウンティー、久保田真琴&夕焼け楽団などの日本人だ。快晴の午後~夜にかけてノンビリとフットボール場の芝生に座ったり、寝転んだりしながら日本人によるアメリカン・ロックに酔いしれた一日だった。



浅草 Rock’n Roll Voluntee    1976~1977

浅草 Rock’n Roll Voluntee    1976~1977
 大晦日はオールナイトでロックン・ロールだ。若い時は徹夜なんて、ドーッて事ない日常の行為だった。今、思うと「若い」時の普通はかなりキツイ。
 内田裕也さんは偉大だ。こんな凄いイベントを現在も続けている。素晴らしい、しかも近年は世界中でリンクしている。出演メンバーを見ると、当時のロッカーもロックし続けている・・・。
 メタボリックな腹を触って、己の生き方を考えさせられた。
 あの日、ライブが終わって、ロック仲間と向かえる初日の出を、どこで見たのだろう。


デイブ・メイソン / Dave Mason 77/5/20

デイブ・メイソン / Dave Mason 77/5/20
 
チケットを買ったのは渋谷のプレイガイドだった。ふと、立ち寄ってショーケースを見ていたら画鋲で止められた、このチケットが目に入った。サンプラザホールは未体験だが、4列ならどう考えてもステージに近いはずだ。
 デイブ・メイソンは当時「Split Coconut」を愛聴していて、お気に入りのミュージシャンだったので即購入して期待に胸を膨らませていた。予想通り、前から4列目のやや右よりの席だった。近い!。ステージに立っている彼等の肉声まで聞こえそうだ。静かに席に座ったまま「Split Coconut」からの多くの選曲に感激した。
 目の前でギターを弾きながら歌うデイブ・メイソンの瞬きまで見えたのが忘れられない。


エリック クラプトン / Eric Clapton 77/10/7

エリック クラプトン / Eric Clapton 77/10/7
 
 クラプトンの来日公演も3度目になり「慣れた」は厚かましいが比較的落ち着いて武道館の椅子に座っていた。たしか白っぽいスーツで登場した記憶がある。バンドメンバーは、イヴォンヌ・エリマンが加われば初来日(74年)&翌年(75年)と同じのお馴染みばかりだ。


フリートウッド・マック / Fleetwood Mac 77/12/5

フリートウッド・マック / Fleetwood Mac 77/12/5
 前座の柳ジョージ&レイニーウッドを見損なった。当時、大ファンだったので見損なったのが悔しくて、メインのマックが始まってもイマイチ気分が高ぶらなかった。
 そもそも、フリートウッド・マックはピーター・グリーンのギターが命のブルースバンドだったはずだ。彼が別人になってしまい、ベースのジョン・マクビーの妻のクリスティーやボブ・ウエルチの加入で「Mistery To Me」や「Penguin」などで素晴らしい変化をとげ、さらにスティービー・ニックス、リンジー・バッキンガムへの交代で「噂」が大ヒットして絶頂期の来日だった。

 スポットライトに浮かぶスティービー・ニックスが美しかった。ひらひら舞う姿にブルースバンド好きのロック小僧もすっかり目を奪われてしまった。


ボズ スキャッグス / Boz Scaggs 78/2/3

ボズ スキャッグス / Boz Scaggs 78/2/3
 
 初来日の初日公演は横浜文化体育館だった。横浜に住んでいたし「ブンタイ」は成人式などでも入っていたせいか、武道館に向かうような高揚感が少なかった。むしろ、なぜ「ブンタイ」なのだろうと疑問を持った。
 「Silk Degrees」のヒットでAORなんて云うジャンルが確立され、その筆頭に置かれたBOZのステージは正しく大人だった。白い上下で歩く姿が、ジーンズしか履かないロック小僧には遠い存在だった。


ジャパン ロック フェスティバル / Japan Rock Festival 78/5/3

ジャパン ロック フェスティバル / Japan Rock Festival 78/5/3
 
 内田裕也氏プロデュース、日比谷野音で開催された。出演はクリエイション、ゴダイゴ、柳ジョージ&レイニーウッド、陳信輝、・・・・・横浜勢を目当てに行ったのだ。



渡辺 貞夫 / Sadao Watanabe 78/6/20 

渡辺 貞夫 / Sadao Watanabe 78/6/20 
 レコードはバックを固めるミュージシャンが凄かった。リー・リトナー、チャック・レイニー、ハービー・メイソン、・・・・。
 ロック系、フュージョンでこのメンバーなら、間違いない。
 当時、レコードを買うのにクレジットされているバック・ミュージシャンやプロデューサーをチェックするのが楽しかった。そして、このレコードと次の「モーニング・アイランド」が、ロック仲間でも話題になり、ジャズ畑の「ナベサダさん」にも手が伸びた。ライブ・ツアーは他のミュージシャンがバックだったと思うが、とても楽しめた素敵な大人のライブだった。


ジェフ ベック / Jeff Beck & Stanley Clarke 78/11/30

ジェフ ベック / Jeff Beck & Stanley Clarke 78/11/30
 
 ジツに簡素でチープなチケットだ。当日売りの立見席だからだろう。値段が記入されていないのが残念だ。 
 ステージでスタンリー・クラークとジャムっているようだった。ドラムはサイモン・フィリップスだったらしいけど、当時は良く知らなくて・・・。



浅草 New Year Rock Festival 1978~1979

浅草 New Year Rock Festival 1978~1979
 
 日本人によるロックにも魅せられていた。出演者を見てみると、クリエイション、四人囃子、ダウンタウンブギウギバンド、桑名正博、柳ジョージ&レイニーウッド・・・・。大イヴェントだ。


イーグルス / Eagles 79/9/25

 イーグルス / Eagles 79/9/25
 オープニングから「ホテル・カリフォルニア」だ。武道館に着くのが遅くなり、席に付くのとイーグルスの演奏が始まるのが同時くらいだった。S席とは言え、北西なんて後ろ姿を観に行く場所だから、イーグルスのようにフロントに3~4人が並んで動かないバンドは辛い。リード・ヴォーカルのドン・ヘンリーもドラムセットに座っているから動きが無い。
 唯一記憶にある動きは、ちょうど僕の前の方にいた客が投げた野球帽が、ステージ西側にセットされたキーボードを弾いていたグレン・フライの前に落ち、グレンは直ぐにその帽子を被って演奏を続けたのを覚えている。